大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成7年(オ)1059号 判決

京都府城陽市寺田尼塚一二番地一〇

上告人

伊藤博夫

右訴訟代理人弁護士

金子武嗣

京都市南区上鳥羽北花名町三番地

被上告人

三和化工株式会社

右代表者代表取締役

吉田巌

右訴訟代理人弁護士

谷口忠武

下谷靖子

豊田幸宏

右当事者間の大阪高等裁判所平成四年(ネ)第四六〇号損害賠償請求事件について、同裁判所が平成六年一二月二六日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人金子武嗣の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 根岸重治 裁判官 大西勝也 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

(平成七年(オ)第一〇五九号 上告人 伊藤博夫)

上告代理人金子武嗣の上告理由

第一、退職後の秘密保持義務について

一、原判決の法令違反

原判決は退職後における営業秘密保持の規則や特約がない場合における退職した従業員、取締役について

「そのような定めや特約がない場合であっても、退職、退任による契約関係の終了とともに、営業秘密保持の義務もまったくなくなるとするのは相当でなく、退職、退任による契約関係の終了後も、信義則上、一定の範囲ではその在職中に知り得た会社の営業秘密をみだりに漏洩してはならない義務をなお引き続き負うものと解するのが相当であるし、従業員ないし取締役であった者が、これに違反し、不当な対価を取得しあるいは会社に損害を与える目的から競業会社にその営業秘密を開示する等、許される自由競争の限度を超えた不正行為を行うようなときには、その行為は違法性を帯び、不法行為責任を生じさせるものというべきである。」

と判旨したが、これは民法第一条第二項の解釈を誤ったものであり、法令違背がある。

二、退職後の秘密保持義務について

退職後の従業員、取締役の秘密保持義務はもっぱら競業避止義務としてとらえられてきた。原判決では本件においても、上告人の行為自体も、被上告人との「競業」として評価されている。

退職後の従業員、取締役に競業避止義務を課するためには、退職後の競業避止義務を禁止する特約を締結する必要があるというのが、通説的見解である(根元渉「労働者の競業避止義務」判夕七一九号11頁、山口俊夫「労働者の競業避止義務―とくに労働契約終了後の法律関係について」石井照夫先生追悼「労働法の諸問題」四〇九頁、冨川勲「企業秘密の保護と取締役、従業員の独立、転職の自由」NBL四〇八号一二頁、和田肇「労働市場の流動化と労働者の守秘義務」ジュリスト九六二号五二頁)。

(一)、従業員の場合について

例えば山口俊夫によれば従業員について

「さらに雇用関係終了後においては、上級管理職の者についてさえ、企業の特殊的知識に関して一般に守秘義務があるとはいえない。労働契約の終了とともに、当事者は原則として一切の法律関係から解放されるのであり、法廷の特別の規定「商法、工業所有権関係法、不正競争防止法の規定など)において禁じられた場合を除いては、在職中に知りえた知識を以後新しい企業においてみずからの職業活動のために利用することも、あるいはみずから企業を起して活用することもまったく自由である。それらは旧使用者の職業活動と競業的なものでありうる。それが資本主義経済体制の基本的競争原理であり、私的経済活動に関して「労働の自由」、「職業選択の自由」として憲法の保障するところである。

たしかに、こうした競業的活動に制約を加えることも、すでに述べてきたように、競業から保護されるに値する企業利益の存在を考慮し、また競業避止義務を設定することが直ちに労働の自由に対する制約ともならないことから、合理性を認める余地は十分にあり、かかる合理性の枠内ではその制約は合法とされうる。しかしそれはあくまでも、労働の自由の原則に対する例外であって、かかる例外的措置をとることについては、自由な当事者間の合意、すなわち約定によらなければならない。そして、この約定は基本的人権事項に密接に関係するものであるから、国(裁判所)のコントロールに服するに適した、明確なものであることが必要である。約定は限定的に解釈されなくてはならず、不明確な約定はア・プリオリに無効とされなくてはならない。」

とされている。

(二)、取締役の場合について

例えば冨川勲は取締役について

「しかし、取締役の地位の喪失後、在任中に知りえたTrade Secretの漏洩についてまで、商法上の善管注意義務および忠実義務を負担させることができるであろうか。在任中に取得した情報、資料、図面を積極的に利用したような場合はともかく、原則的には、当然に、負担させることは困難かと思われる。

こうした義務を負担させるためには、取締役の地位喪失後もTrade Secretを保持する義務がある者の契約書や誓約書の存在が必要となろう。その契約書等の内容については、従業員に対するものよりは、本人により厳しい内容のものも許されよう。なぜなら、会社と取締役の関係は、委任契約関係であり、雇用契約関係よりもより高度で、より包括的な関係にあり、会社との信頼関係も高く、在任中、接近できたTrade Secretの量、質ともに従業員とは比較にならないものがあり、それゆえに会社がその漏洩によってこうむる損害の程度も比較にならないほど大きいと考えられるからである。」

とのべている。

(三)、信義則について

以上のとおり、退職後の従業員、取締役の競業避止義務、秘密保持義務たついては特約がなければならないとすることが通説である。

原判決が信義則を根拠としてこれを認めているが、山口は

「信義則による評価が介入しうるのは、そうし実明確な約定の存在を前提とした上でのことであって、一部論者のいうような、もはや消滅してしまった労働契約に内在的ないし附随的に存在した信義則が“残存”(!)する余地はなんら存在しない。まさに、イタリア、スイス、ドイツなどでの立法例またはフランス判例が、競業避止義務を設定するには、書面によらなければならない、とするのはこの趣旨である。信義則は共同生活関係の理念を表明するものであって、それが単に道義的要請以上の法律的な行為規範として適用の場を見出しうるためには、権利者や義務者の外的な行為態度がそれに適合すべき客観的な価値判断の基準が明らかにされなければならない。ところで、雇用関係を離れた労使にとっては、この場合、特別の約定なくして、そのようないかなる客観的価値判断の基準があるというのであろうか。労働者の労働の自由を制約してでも、企業の利益は常に優位のものとして、それに保護が与えられるべきである、とでもいうのであろうか。労働関係の継続性と人的性格にかんがみて、信義則の働く余地は大きいことは疑いないところであるとしても、またしばしばこの一般条項は不用意な―またそれが意識的であれば危険な―仕方で用いられ、事実上は労働者の譲歩に対する過度の要求ないしはその正当な利益の侵害を正当化する手段とされ易い。この一般条項の適用については、はるかに慎重でなければならないと思われる。」

と批判しているのである。

三、判例について

判例も、従業員、取締役の退職後の競業避止義務、秘密保持義務についてもっぱら特約や就業規則が存在した場合の有効性について争われている。

代表的な最高裁判所第二小法廷昭和五二年八月九日判決(労働法律旬報九三九号五一頁)も、まさしく退職金規定を有効として退職金減額を認めたものであり、広島高等裁判所昭和三二年八月二八日(高民集〇巻六号三六六頁)は、特約を公序良俗違反として無効としている。

また金沢地判昭和四三年三月二七日(判例時報五二二号八三頁)は、労働者が雇用関係継続中に習得した業務上の知識、経験、技術は労働者の人格的財産の一部をなすもので、これを退職後のどのように利用するかは各人の自由に属し、特約もなしにこの自由を拘束することはできない、とした上で、前記雇用条件は在職中の当然に遵守すべき義務を注意的に述べたにとどまり、退職後の義務を課する趣旨の特約とは認め難い、として競業避止義務の存在を否定し、損害賠償請求を棄却している。

以上のとおり、判例も特約又は規則の定めのない従業員等の退職後の競業避止義務、秘密保持義務は認めていないのである。

四、不正競争防止法の改正について

ところで平成二年六月二九日に不正競争防止法が改正され、平成三年六月から施行されるに至った。

そして改正法として同法一条三項四号が新設され、これによれば

「正当な原因に基づいて保有者から始業秘密の開示を受けた役員・従業員・ライセンシーなどが、権原の範囲を越えてこれを利用したり、保有者の意図に反してこれを第三者に開示した場合には、それが図利加害の意図をもって行われたときに限って、差止請求の対象となりうるものとする。」

ということになった。

これについては、

「これらの行為は、契約上または法律上の秘密保持義務・善管注意義務等に違反するからこそ違法なものとされるのであり、それらの義務が存する以上は、債務者の主観的態様の如何を問わずにその義務の履行を請求でき、債務者に来い・過失があれば損害賠償も請求できるのだから、本法において差止請求および損害賠償に関する規定を設け、しかもその主観的要件を加重する必要はないのではないかといった疑問が生ずる。

これに対しては、〈1〉前述の如く、退職後の従業員等については明示的な約定がない限り秘密保持義務を認められないと解する説が有力であるところ、競業会社の設立を目的として複数の従業員が突然一方的に退職した場合のように、秘密保持契約を締結することが困難な場合があり(東京地判昭和五一年二月二二日判夕三五四号二九〇頁参照)、〈2〉そうした場合に信義則等を用いて秘密保持義務の存在を認定したとしても、信義則上の秘密保持義務の履行請求をなしうるかについては疑問の余地があるし、〈3〉秘密保持契約が存在する場合でも、契約の適用範囲を特定することが困難な場合も少なくないため、明らかに営業秘密の不正利用・不正開示を目的とした悪質な行為がなされる場合につき、契約上の請求権とは別に不正競争法上の差止請求権を認めることには一定の意思があると考えることができる。本法は、このような考え方を前提としつつ、産業活動の自由、転職の自由等を不当に制約しないようにするため、侵害者に図利加害の意図があることを要件として、差止請求権の成立を認めることしたものと解される。」

とされているのである(鎌田薫「営業秘密の保護」判夕七九三号五九頁)。

まさしく、それまで特約又は規則で定められた場合以外は競業避止義務等が認められなかったからこそ、不正競争防止法に新たに新設されたのであり、これで十分なのである。

五、小結

本件はまさしく不正競争防止法改正前の事件であるから、その適用はない。

ところが、原判決は信義則により、特約又は規則が存在しない本件において、上告人に対し、秘密保持義務を認めた点において、民法第一条二項の解釈を誤った法令違反がある。

第二、本件技術の範囲について

一、原判決の認定

原判決は、

「 控訴人における二段階発砲の実施は、本件特許に基づき開始されたものではあるが、その後、二次発砲工程に「三和SJ発砲機」を採用する等の控訴人独自の開発、改良によって、本件特許の範囲を超える八五パーセント以上の未分解率の一次発砲体も二次発砲させることが可能となり、その結果、四〇倍を超える高発砲の製品が安定的、効率的に得られるようになったもので、それが控訴人の有する本件技術にほかならず、その範囲中には、本件特許の実施技術も含まれるが本件技術=本件特許の実施技術とのみ捉え、それを前提に異なる技術であるとする右被控訴人主張はこれを採用することができない。」(一四丁)と認定した。

二、経験則違反について

裁判は、法規の適用とその前提としての事実の認定をその核心としているが、裁判の基礎となる事実の認定にあたって、裁判官は、適法な資料(弁論の全趣旨および証拠調べの結果)に基づき、法律上何らの制約も受けずに自由な形成できる(自由心証主義・一八五条)。しかし、これは、自由な証拠評価は論理法則と経験則に従わなければならないという、一定の制約を内在している。具体的には、裁判官が証拠から争いある間接事実や主要事実の存否を推論し、また、証拠と同様に機能する間接事実から他の間接事実やことに主要事実を推論する場合(事実上の推定)には、論理法則と経験則に従わねばならない。事実認定の資料とその資料にもとづく推論の過程が判決理由中で明らかにされなければならないとして証拠説明が要求されているのも、論理法則と経験則にかかわる部分についての違法が存在しないことを保証するためである(一九一条一項三号)。

ここにいう経験則とは通常人が有する常識的な判断をいうが、もとよりこのような経験則に反する事実認定を理由とする上告の可否が問題になる。

通説・判例は、経験則も判断の大前提であって法規に準じるものであるから、経験則の認定や適用の誤りは法令違背として当然に法律審で取り上げるべきものと解している。

(加藤哲夫「経験則違反と上告」民訴法判例百選Ⅱ四〇八頁)

三、経験則違反

原判決には次のとおりの経験則違反がある。

即ち、原判決がのべるように被上告人会社の技術が二段発泡を基本とするものであることは否定しないが、特許として保護されているのは、「二段発泡技術」の全般ではない。その極一部にすぎないことは甲第三号証の特許公報の特許請求の範囲((6)頁)で、

1.ポリオレフィンに発泡剤、発泡助剤および架橋剤を配合した発泡性配合物を金型に充填し、

2.言って時間加圧下に加熱し、発泡剤の四〇~八五%が未分解で残存せる状態で高温熱時に除圧して金型より取り出し中間一時発泡体を得る第一工程と、

3.この第一工程で得られた一時発泡体を常圧下で加熱し、未分解のままで残存せる発泡剤を発泡せしめ、さらに低密度の発泡体となす第二工程とよりなる。

というものである。

ところで、本件の場合に右2が極めて大きな意味を持っている。

即ち、乙第一号証の意見書では

本件特許発明はその出願当初の特許請求の範囲(乙第五号証)では一時発泡時の発泡体の発泡剤の未分解率に関する数値限定はなかったが、拒絶理由(乙第六号証)が発され、これに応答する意見書(註本件乙第七号証)が提出され、この手続補充書によって一時発泡体の発泡剤の未分解率が四〇~八五%に限定されたと言う事実が存する。そして当該意見書においてもこの数値限定に技術的な異議のあることが述べられている。

してみると、本件特許は一次発泡体の発泡剤の未分解率が四〇%未満及び八五%を超える技術については意識的に除外している。

まさしく本件特許は、

イ.二段発泡にわたるポリオレフィン気泡体の製造方法であり、一段のみのもは特許権の範囲外である。

ロ.二段発泡のうち第一時工程における発泡剤の未分解率が四〇%未満、八五%をこえる製法のものについては、特許権の範囲外である。

ハ.製造装置、その複合物の生産技術に関する秘密ノウハウなどは含まれていない。

のである。

ちなみに本件吉井鉄工株式会社(以下吉井鉄工という)の二段発泡の製造技術は発泡剤の未分解率が八七・五%前後であり、特許の範囲に含まれない(乙第一号証)。

このことは、公知の事実に外ならない。

ところが原判決は甲第三〇号証(SJ法)の特許により右除外部分の技術も被上告人会社の技術に含まれるなどと認定しており、特許等の技術の基本について全く無知な認定をしているのである。

即ち、乙第五一号証は株式会社セルテクノの特許に関する特許公報であるが、被上告人が除外した八七%から九五%の未分解率についての発泡技術は、昭和五九年八月二二日出願され、特許庁において平成六年三月一六日に公告されているのである。

まさしく、両者は別の技術であり、それゆえにこそ被上告人会社の甲第三〇号証(SJ法)の特許も甲第三号証の基本特許と発泡率について同じ限定をしているのである。

被上告人会社は特許権の期間が昭和六〇年九月二四日に期間満了になったから差止の実益がなくなった(第一審六一年三月一四日付準備書面五項)して仮処分を取下げているが、特許権侵害による損害賠償は請求できるはずであるにも拘らず、吉井鉄工に対し損害賠償の請求をしていない。

吉井鉄工の済南、ハルピンに対する本件技術輸出が本件特許の範囲外であることは、被上告人会社すら認めているのである。

まさしく原判決には特許技術に関する経験則違反がある。

第三、本源的保有者について.

一、原判決の認定

原判決は、本件の重要争点である上告人が本件ノウハウについて本源的保有者か否かについて、

「被控訴人は、控訴人が本件技術として主張する本件特許及びその周辺技術としてのノウハウのすべては、被控訴人の発明及び開発にかかるものであり、その本源的保有者は被控訴人であるから、被控訴人が、控訴人を退社後、これを使用し得ることは当然であって、これが不正使用とされるいわれはない旨主張するところ、なるほど、甲第三号証、乙第二八号証、第二九号証の一ないし二四によれば、被控訴人は、本件特許を始めとして、永和化成ないし控訴人が出願した発泡ポリエチレンに関する特許の多くにつき、発明者として名を連ねていることが認められる。」

と認定しながら

「しかし、甲第二号証、当審証人円尾栄造、原審及び当審証人村上文男の各証言によれば」

として

「被控訴人は、昭和三九年四月一日永和化成に入社し、研究開発部次長の地位にあり、その後、昭和四四年一二月控訴人に移籍後は生産部長、次いで技術開発部長の職にあったが、発泡ポリエチレンに関する研究開発に関しては、部門の管理者として、実験の立会いや特許出願についても取りまとめ等事務的な面での関与がほとんどであって、それら出願に発明者として名を連ねているのも、右管理者としてに過ぎず、その実際の研究開発を被控訴人が行ったことを示すものではないこと、ちなみに、二段発泡法に関する本件特許の研究開発は、特許公報には発明者として名前はあがっていない西田秀雄、森田宇佐雄の両名が中心になって開発したものであるし、「三和SJ発泡機」は、村上文男を部長とする生産部の従業員らによって開発されたものであることが認められる。」

と認定した。

二、法令違反

前記のとおり、本件は改正後の不正競争防止法の適用される事件ではないが「本源的保有者」の概念は参考になる。

ところで「本源的保有者」とは、改正法が具体的に規定をおいていないため問題である。

通産省知的財産政策監修の「営業秘密」によれば

「改正法は帰属については具体的に規定を置いていないため、それぞれの営業秘密ごとに帰属が判断されることとなるがこの判断に際しては各知的財産権法の考え方等が参考になるものと思われる。具体的には、発明は発明を行った従業員に(特許法第三五条)、・・・・・それぞれ帰属するという実体法の理念に照らして個々の営業秘密の生活、当該営業秘密の作成に際しての発案者や従業員の貢献度等、作成がなされる状況に応じてその帰属を判断することになるものと考えられる。」

とされている。

しかし個人の「秘密」ごとの判断は極めて煩瑣であるから(後記、経験則違反で詳述)特許にかかる技術については「発明者」については「特段の事情」のない限り「本源的保有者」として規定すべきである。

それでなければ、従業員や取締役が独立して競業をなす際に、一々裁判所が過去のはるかな時点の、詳細な技術についての、長い経過のある発案貢献度を事実認定せざるを得なくなるからである。

ちなみに、後記のとおり本件でも明らかなように技術というものは、特許公報をみても明らかなように、甲第三号証では6頁、甲第三〇号証では5頁の細かな説明をしなければ、表現しえないものであって、法廷「一言」をもって説明することなどできないことは明らかである。ましてや職務発明の場合、その発明の分担や貢献度など容易に明らかにできないからである。

本件においては、甲第三号証、甲第三〇号証の各特許について上告人が発明者であって「本源的保有者」として推定されるべきであるにも拘らず原判決はこれをしなかったのであるから、法令解釈を誤った法令違反がある。

三、原判決事実認定の経験則違反―消極的な事実についての軽験則違反本件については次にのべるような経験則違反がある。

(一)、特許法

そもそも特許法三五条によれば職務発明については、

「使用者、法人、国又は地方公共団体(以下「使用者等」という。)は、従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の事務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明(以下「職務発明」という。)について特許を受けたとき、又は職務発明について特許を受ける権利を承継した者がその発明について特許を受けたときは、その特許権について通常実施権を有する。(第一項)

従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ又は使用者等のため専用実施権を設定することを定めた契約、勤務規則その他の定の条項は、無効とする。(第二項)

従業者等は契約、勤務規則その他の定により、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定したときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。(第三項)

前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない。(第四項)

と定められており、職務発明については発明者が原則的に特許権を有するのである。

それゆえ、一般企業が、原判決が認定するように単なる管理者にすぎない者を発明者にし、さらに名前の上がっていない者が発明者にならないとすることは、経験則上考えられない。

(二)、乙第二九号証の五との矛盾

原判決は乙第二九号証の一乃至一六についてその証拠価値を認めているが、原判決のとおり「上告人が単なる管理者であり、研究開発を行った者でなく名を連ねたにすぎない者」であれば考えられないような特許が存在する。

乙第二九号証の五は「ポリエチレン樹脂気泡体の接着方法」の特許公報であるが、発明者は上告人だけである。出願人は被上告人会社である。

原判決の認定に従えば、上告人は「研究開発を行ったものではない」から、右技術に関する特許は誰が開発したことになるのであろうか。

まさしく原判決の認定は客観的な証拠と合致しない。

(三)、上告人の業績

さらに原判決は上告人の業績を全く無視している。その業績とは技術に関する著作物である。

1、乙第四八号証

一九六五年(昭和四〇年)六月「ポリエチレンフォームの展望」

上告人と林輝夫との共著

2、乙第二六号証

一九六九年(昭和四四年)「発泡剤」著者上告人のみ

3、乙第二七号証

一九七〇年(昭和四五年)「発泡剤」著者上告人のみ

4、乙第四七号証

一九七二年(昭和四七年)一二月「圧縮発泡成形法」

上告人と笠次武男との共著

これらの著作においては、ポリエチレン発泡の技術が平易に記述されているばかりか、その中で被上告人会社の技術が正当に評価されている。

例えば、右1の論文では

「それでは一方低密度のものについてはどうかというと、わが永和化成工業株式会社がこの程開発した均一微細な気泡を有する低密度ポリエチレンフォーム、商品名「エターライト」が出現するまでその影もみなかったという信じ得ないような状態であった。われわれは「エサフォーム」出現以来発泡剤の専門メーカーの面目にかけても何がなんでもポリエチレンフォームをつくって見せるとの意気ごみで研究陣を総動員して研究に研究を重ねた結果、一九六四年(昭和三九年)ついに低密度ポリエチレンフォーム「エターライト」が生まれた。そして一九六五年(昭和四〇年)一月企業化に踏切ったのであります。」

とさらに4の論文においては

「圧縮成形法で、大きな位置を占めている架橋発泡ポリエチレンは、一九六五年、日本で最初に永和化成工業(株)によって開発企業化され、一九六八年、発泡体製造部門を三和化工(株)に移設し、本格的に企業化された。その間、MTP化成(株)が同じ圧縮形成法で、架橋発泡ポリエチレンの製造を開始した。先発メーカーの永和化成での開発当初は、いわゆるゴムの加硫発泡法に類似した一段発泡法であったために、発泡倍率一四~一七倍、厚さ五〇mmを限界とする製品で、生産性が低く、経済的に被効率であった。しかし、一九六八年に至り、倍率三〇倍前後の厚物(八〇mm)製品を製造できる二段発泡法を開発し、製品の巾をより広げ、現在に至っている。その後、改良を重ねた結果、一九六九年には米国のハーキュレス社に対し、古河電工(株)の技術輸出に引続いて、三和化工(株)も二段発泡技術を輸出し、高く評価されるに至った。」

と論述されている。

原判決が認定するように、被上告人会社に「真に研究開発を行った者」がいたのであれば、右以上の業績と著作物が証拠として提出されてしかるべきである。

ところが原判決が技術を開発した「真の技術者」たる西田秀雄、森田宇佐雄、村上文男が上告人の右著作に匹敵するような著作をなしたことがあるのであろうか。否である。あるのであれば証拠としては提出されるべきであるにも拘らず、被上告人側から一切提出されていないのである。

原判決の認定はこの点においても無理がある。

(四)、特許と発明者について

上告人は被上告人会社において自ら技術開発に関与した特許については、発明者となっている。これは乙第二九号証の一乃至二四の客観的証拠である特許公報において明らかとなっている。

また上告人は被上告人会社において自ら技術開発に関与しなかった特許については発明者になっていない。これまた乙第四一号証、乙第四二号証の特許公報から明らかである。

いずれも上告人が技術開発部長当時である(甲第二号証)。

原判決はこの客観的証拠を無視している。

(五)、小結

以上のように原判決はこれら(一)乃至(四)の重要な事実を無視した経験則違背がある。

五、原判決事実認定の経験則違反―積極的な事実についての経験則違反

原判決は前記のとおり、甲第二号証(経歴書)と円尾栄造証人、村上文男証人の各証言のみによって上告人が「管理者としてにすぎず、その実際の研究開発を行ったものではない」積極的に認めている。つまり二証人の証言のみによって認めたといって過言でない。

ちなみに円尾証人がもっぱら甲第三号証の技術(二段発泡)について、村上証人がもっぱら甲第三〇号証(SJ法)について、各技術について証明したことになっている。

(一)、円尾栄造証人について

それでは円尾は技術の真実を証言しているのであろうか。

1、発泡技術についての証言

次ぎに、永和化成で作っていたという発泡体のことについてお聞きしますけれども、永和化成工業株式会社が出来た当初にはポリエチレンの発泡体の製造はしていなかったんですね。

発足当時はしてませんでした。

それが、製造をするようになったというのは、技術が何かをよそから引っ張って来たんですか、それとも、永和化成のほうで開発されたものですか。

自社内で開発しました。

その開発のきっかけというのは、いつごろ だれが どういう形 どういう内容でやりだしたのかということについて説明していただけますか。

昭和三六年くらいだったと記憶します。少なくとも三七年以前ですから三五年か三六年だと記憶しますが、西田秀雄、森田宇佐おが・・・・・。

その二人は永和化成の従業員だったんですか。

そうです。

いつごろから入ってましたか。

三五年と三六年にまたがっで永和化成に入社してきたと記憶してます。

そうすると、入社後すぐに発泡体製造の開発を始めたことになるわけですね。

そうです。

当時、そういう技術というのは、ほかでもあったんですか。

我々のやろうとしておるものにつきましては、世界でなかったはずです。

そうすると、非常に独自なものを研究しだしたということになるわけですね。

そのように思っております。

それで、その成果らしきもの―製品に出来るような技術というのは、いつごろ出来たんですか。

三八年の春ごろには大体完成に近い、あるいは、一部の完成の試作品をやってました。

昭和三八年の春ごろに大体出来たというそのポリエチレンの発泡体の製造技術というのは、大雑把にいうと、どんな内容だったんですか。

まず、一五倍程度までは完全に完成しておりました。それ以上の倍率、つまり二〇倍、三〇倍を求めようとした場合には、当時のその方法では問題があったということで、引き続いて開発の研究に着手してました。

それが西田、森田です。

三八年の春ごろに出来ておったというのは、一五倍ないし二〇倍くらいのものが出来ておったんですか。

二〇倍まではいかない、一七倍くらいまでのものは完成してました。

その技術の内容というのはどんなものだったんですか。

一段発泡です。

そうすると、高倍率のポリエチレンの発泡体を作る技術としての二段発泡のはじまりが三八年の夏ごろに・・。

夏以前ですね。

夏ごろまでに開発されだしておったと、そういうことですか。

そうです。

その開発をそこまでしたのは、先程言われた西田さんと森田さんですか。

それを含めまして、それには助手的な作業が何人か付いておりました。

それから、一応、二段発泡の高倍率のポリエチレン発泡体を作るという技術がある程度出来たというようなことになったのはいつごろかというのは、記憶ありますか。

昭和三八年の一一月―秋だと記憶してます。

それは、何で外部にわかるようなことがありましたか。

はい。一部新聞にも発表してましたし、そのニュースが業界といいますか、まだ出来上がってませんけれども、発泡剤の用途のゴムとか、あるいは、プラスチックメーカーの業界に伝わりだしました。

新聞で発表されたのは、どんな見出し、内容で出たか覚えてますか。

私、よく記憶してますのは、世界で最初の高発泡架橋ポリエチレンという見出しで、横書きで大きくです。

それが、昭和三八年一一月ごろのことですか。

はい。

世界で最初の高発泡架橋ポリエチレン発泡剤ですか。

そうです。

そういう発表があったんですね。

はい。

(三乃至五丁)

・・・・・

そうすると、二段法の方法による製造というのは、いつごろ始めたんですか。

量産の大きなものは、三和化工で大型の製造装置を昭和四三年にやりました。

(六丁)

円尾証人は一段発泡の一七倍までの技術は昭和三八年春までに、二段発泡の高倍率の発泡体の技術ができたのが昭和三八年一一月で、ニュースが新聞に出たというのである。そしてその技術を開発したのが上告人ではなく西田秀雄、森田宇佐雄であるというのである。二段発泡の実用化が昭和四三年というのである。

円尾証人は昭和三九年に上告人が永和化成に入社する前に一段発泡、二段発泡の技術とも完成していたといいたいのであろうし、それが被上告人の立証というわけである。

2、一段発泡技術の開発時期

しかし、乙第四八号証(一九六五年六月号、メールプラステックス)では、われわれは「エサフォーム」出現以来発泡剤の専門メーカーの面目にかけても何がなんでもこれ以上のポリオレフィンフォームをつくって見せるとの意気込みで研究陣を総動員して研究に研究を重ねた結果、一九六四年(昭和三九年)ついに低密度ポリエチレンフォーム「エターライト」が生まれた。

と記載されている。つまり一段発泡技術の開発は昭和三九年である。現に原判決も

「発泡剤メーカーであった永和化成は、バッチ法による高発泡ポリエチレンの製造も手掛け、昭和三九年に一段発泡法によある製造技術を開発し、」

とわざわざ認定しているのである。

3、二段発泡技術の開発時期

次に、二段発泡の技術については乙第四七号証(プラスチック発泡体の製造技術、一九七二年一二月号)では

「しかし、一九六八年に至り、倍率三〇倍前後の厚物(八〇mm)製品を製造できる二段発泡法を開発し」

と記載され、乙第五〇号証(フォームタイムズ、昭和四三年四月二五日)

「永和化成株式会社(本社・京都)はこのほど発泡ポリエチレンの架橋型ブロック系の新製品「サンフォーム」を開発した。」

と記載されている。まさしくこの二段発泡の新聞記事こそ、円尾が証言したような「技術開発」の昭和三八年一一月ではなく、「実用化された」昭和四三年のものであったことも明白となった。

原判決も

「昭和四〇年、商品名「エターライト」として工場生産を開始した。しかし、一段発泡法では、製品の発泡倍率は一五倍程度にとどまるため、より高倍率(低密度)の発泡体を得るため、本件特許にかかる二段発泡法を開発し、これにより発泡倍率二〇ないし三〇倍の発泡体の生産が可能となり、昭和四一年、特許出願をするとともに、昭和四三年、商品名を「サンフォーム」として、右二段発泡法による商品生産を開始した。」

と認定している。

4、円尾証言が事実に反すること

円尾証言の第一段発泡、第二段発泡の時期とも客観的事実ともまた原判決の認定時期とも異なっていることは明らかである。

この時期が何時かは、技術開発の根本をなすものといえよう。

ところが、円尾証言は、この根本的な点で誤っているのである。

そしてこれらを否定した証拠(乙第四七、四八号証)こそ、上告人が過去に残しておいた上告人の著作であったのである。

円尾証人は

成果の内容については、伊藤さんはどのように寄与しておられたのかわかりますか。

もともと入社を求めたというのは、研究開発部で事務局を努める人間が不足しておったということで、やはり大学で助手をしておられたということですから、そういう資料のまとめとかいろんなことは非常に長けて居られるということで入社願ったわけで、当初は、そういう研究開発部の資料・データのまとめ、その中にはもちろん特許出願の事務局も含めますし、自分が直接に携わるというのではなくして、いわば大きな研究開発部門の事務所長と―当時は課長にはすぐなってなかったはずですけれども、そういう役目の仕事もしてました。

そうすると、発明するんじゃなくて、発明された成果を事務的に取りまとめて特許の出願をするという形で関与されたと、そういうことだと伺ってよろしいですか。

ええ、結構です。

(九、一〇丁)

とのべているが、それであれば、上告人が入社した昭和三九年からどうして特許がでてこなかったのであろうか。乙第二九号証の一乃至一六をみれば明らかなように昭和四一年からしか、しかも被上告人会社ではなく上告人が所属していた永和化成からしか出ていないことこそ、上告人の技術に対する役割を明らかにしている。

5、円尾証人の技術に対する認識

それでは円尾証人のポリオレフィンフォームについての知識はいかほどであったか。法廷でのやりとりをみればよくわかる。

(1)、ポリオレフィンフォーム(ポリエチレンフォーム)に関する技術は

「ポリエチレンフォームに関する研究はベル研究所に於いて一九四五年(昭和二八年)通信ケーブルの絶縁被覆に用いようとする試みがなされたことに始まる。

ついで一九五四年(昭和二九年)には、ベークライト・カンパニーに於いて独立気泡の高密度ポリエチレンフォームが通信ケーブルの絶縁材料として極めてすぐれている事が明らかにされ、斯業界にかなりの反響をもたらした。」

(乙第四八号証三三頁)

というものであるが、円尾は

じゃ、ポリエチレンフォームでもポリオレフィンフォームでも結構ですけれども、そもそもそういうものが開発されたのはいつごろですか。

架橋ですか無架橋ですか。

それは、両方どちらでも結構です。

無架橋は、一九四〇年くらいというふうに私の頭では記憶しております。

どこの会社で開発されたんですか。

多分、アメリカのデュポンだと・・・。

デュポンですか。

間違いかもしれませんが、デュポンだと・・・。

わかりませんか。

文献にはあるはずです。

昭和二九年ごろに、ベークライト・カンパニーという会社をご存じですか。

イメージとしては存じ上げてます。

イメージですか。ベークライト・カンパニーというのは知りませんか。そういう会社のことはご存じないですか。

ベークライト・カンパニー・・、アメリカン・ベークライトなら行ったことがあります。日本は住友ベークライト・・。

(一五丁)

(2)、我国の技術については

一方、わが国に於いても、高密度の電線被覆を対象としてポリエチレンフォームの製造は、一九五五年(昭和三〇年)頃より行われたが、押出方法で発泡体を被覆することのできないような細い電線については、溶液塗装による気泡体被多方法が電電公社電気通信研究所により一九五八年(昭和三三年)に発表されている。また、一九五九年(昭和三四年)には古河電気工業株式会社中央研究所が有機発泡剤による電線ケープル用発泡ポリエチレンの発泡条件の研究結果を発表している。

(乙第四八号証三三頁)

円尾は次のようにのべる。

独立気泡の高密度ポリエチレンフォームが通信ケーブルの絶縁材料として初めて使われたということは、ご存じですか。

それは戦前の話です。

実用は昭和二九年ごろですね。

もう少し早いんじゃないですか。

じゃ、現実に我が国の高密度のそういうふうなポリエチレンフォームの製造というのは、いつごろ始まりましたか。

高密度は、幾らくらいのことを言われるんですか。

いつごろから始まりましたか。

質問の内容の高密度の意味を言って下さい。

言葉の問題じゃないんですけれども。

比重、倍率ですから・・。

じや、現実的に高密度でなくても結構ですから、そういうものが作られ始めたのはいつごろですか。

だから、先程行った一九四〇年代だと私は記憶してます。

戦前から作られておったんですか。

はい。

日本でですか。

いや、アメリカです。

(一六丁)

円尾証人は質問をはぐらかすことに終始している。

私が聞いているのは、我が国でです。質問をちゃんと聞いて下さいよ。

電線会社では、昭和二〇年代で挑戦はしておったと・・。

挑戦ですか。そういう認識ですか。

はい。

発表されたのはいつごろですか。

よく記憶しません。

(一六丁)

といいながら

昭和三三年ごろ、電信電話公社のところでされているんですが、ご存じありませんか。

そうですね、知ってます。

それで、聞きますけれども、昭和三四年に古河電気工業の中央研究所というところでそういうものをようやく発表した段階というのも、ご存じですね。

私が関与してましたから、よく知ってます。

そういうふうな電線の被覆用以外のところに進出しはじめたのはいつごろですか。

それは、比重が問題になるわけですね。

(一七丁)

と言葉の問題にすりかえようとしているのである。

(3)、エサフォームについては、

「この頃までは、もっぱら電線ケーブルー絶縁用のみに使用されていたポリエチレンフォームは、一九五九年(昭和三四年)ダウ・ケミカル・カンパニーにより開発された低密度ポリエチレンフォーム商品名「エサフォーム」の出現によって電線被覆用以外の新規応用分野への進出が考慮され始めたといってもよいでああろう。」

(乙第四八号証三三頁)

円尾証人は次ぎにのべる。

じゃ、こう聞きましょう。ダムケミカル・カンパニーという会社をご存じですか。

知ってます。

エサフォームというものはご存じですか。

知ってます。

どういうものですか。

いま現在は日本ではエサフォームはありません。

はぐらかさなかで、私の質問に端的に答えて下さい。エサフォームというのはどんなものですかと聞いておるんです。

いつのエサフォームですか。エサフォームというのは現在ないわけです。

じゃ、いつごろ開発されましたか。

私の記憶では、昭和二四~二五年というふうに聞いております。

昭和三四年ごろではありませんか。

それは、市販したんでしょう。

市販が三四年ですか。

そんなものでしょう。

市販したものはどういうものでしたか。

ポリエチレンをガスで無架橋で発泡させたものです。

要するに、我が国での皮切りというのはエサフォームが一番最初じゃなかったですか。

・・・・・。

ようするに、電線の被覆以外の分野について

・・・・・。

(一八丁)

と問われると答えに窮している。

それが

あなたは、ポリオレフィンフォームの熱圧縮成型といいますか、そういう技術のことについてはそんなに詳しくはないんですか。

自分では詳しいつもりでおります。

とのべていた円尾証人の技術知識のレベルなのである。

このような円尾証人の証言で、原判決は上告人と二段発泡との関わりを「管理者」として認定したのである。

また

あなたのお話ですと、名ばかりに伊藤さんの名前が出てて、実質的に技術を発明された方の名前がないというのはおかしいと思いませんか。

おかしいと思いませんね。

西田さんなり森田さんという方が、何かの雑誌が本にこの本件のポリオレフィンの製造方法ということについて、何かお書きになったことがありますか。

あると記憶してます。

(二一丁)

といいながら

いつの時期に、どういうものに書かれてますか。

それは私は今覚えておりません。あると記憶してるだけです。

たくさんあるはずです。

その一つでも思い出せませんか。

今は思い出せませんね。

(二一、二二丁)

とごまかしている。

そして、被上告人側からこのような証拠は一切でてこなかったのである。

(二)、村上文男証人について

それでは、他の技術である「SJ法」にかかる村上証言はどうか。

1、甲第三〇号証の技術について

村上証人は甲第三〇号証の技術について次のようにのべる。

それから独自の設備か何かで他に知らせないというようなものがあったんですか。

はい。発泡ですから、当然発泡成型機が一番心臓部でございましてそれをSJ機という機械でもって作っておりました。これが、我々のノゥハゥの一番のポイントでございます。

(控訴審第一回三丁)

2、技術の認識について

村上証人は甲第三〇号証について

甲第三〇号証を示す

これは、考え方の特許なんですか、機械の特許なんですか。

これは二段発泡の二段目をSJ機を使ってやると。

だから、考え方の特許なのか、機械に関する特許なのか、どっちですか。これを見たら分かるでしょう。

これは機械に関するやつです。

え、機械ですか。これは考え方でしょう。

あ、考え方です。

架橋ポリオレフィン気泡体の製造方法でしょう。

はい、そうです。

SJ発泡機という機械についての特許ではありませんね。

はい。

あなたは、先程、この特徴が角パイプにあるというふうなことをおっしゃいましたね。

はい。

この特許請求の中で角パイプのことを書いてありますか。

ありません。

・・・・・。

その角パイプということについて、実用新案なり特許なりの請求は出したことあるんですか。

出しておりません。

要するに、パイプに蒸気を通して加熱する、それと同じもので水で冷やす、そこが一番のポイントなんですね。

はい。で、なおかつ発生する応力をこのパイプで抑えると。

でも、それは一つも書いてないでしょう

書いておりません。

私の聞いておるのは、この特許の中で、あなたのほうが強調されたいところはそこなんですね。

そうです。

(控訴審第一回二五丁)

甲第三〇号証の特許について、乙第三八号証の一、乙第三八号証の七、乙第四〇号証の一、二などの異議申立が出ている。ところが村上は甲第三〇号証の特許について、根本的な知識もなかったことが明らかとなった。

あなたのほうで、この特許の関係で、こういう異議申立が出て、その特許の範囲というものを限定しませんでしたか。

してません。

本当にしてないですか。

これについてはしてません。

(控訴審第二回二七丁)

と断言した。ところが乙第三九号証を示され

乙第三九号証を示す

これはおたくの会社の手続補正書ですね。

はい。

この中に特許請求の範囲が限定されてるでしょう、ご存じありませんか。

いや、ちょっと忘れましたけど。

これはおたくの会社が作られたものに間違いないですね。

そうです。

この三九号証の三枚目の二のところに、特許請求の範囲として、「該金型の金属板に熱媒の流路を設けた金型中に入れ、該金型の金属板を蒸気流路に熱媒を流通せしめて加熱することによって」とありますね。

はい。

そういうことで限定されておるんですよ。現実に、こういう異議申立が出て、そういう形になされるでしょうあなたのおっしゃってる、接触面が一体か、それともくっつけているかということは問題になってないでしょう。しかも・・。

いや、これ以前は、どういう形になってましたか。これ流通だから、何ら私の言ってることと矛盾はしてないですけど。

(控訴審第一回二七丁)

とごまかしている。これが本当に技術を知るものの証言であろうか。

先ほど、技術関係ということで、本件のSJによる二段発泡とおっしゃいましたが、このことについてお聞きします。これは生産部だけの独自の発明なんですか。

そうです。

乙第二〇号証を示す

これが、あなたが技術開発部長になられて、伊藤さんが技術移転業務グループのグループ長になられた後の、五七年、五八年の分なんですけれども、これを見ますと、特に五七年度を見ましょうか。生産本部があって、営業本部があって、そして技術開発部というのは別組織なんですね。

はい。

生産本部というのは何をするところなんですか。

生産するところです。

技術開発部というのは何をすることろなんですか。

技術開発をするところです。研究するところです。

(控訴審第一回二九丁)

といいながら

技術開発部も関与してるでしょう。

してないです。

どうしてですか。

はっきり言ったら、そういう構想は、技術開発部は、それは不可能だというようなことを言ってましたから。

全く関与してませんか。

全くしておりません。

それでは、なぜか伊藤さんがこの特許の発明者の中に入ってるんですか。

特許を出すときには、技術開発部で伊藤さんのところで出したから。

伊藤さんのところで出したから、伊藤さんの名前が入ってると。

そうです。

乙第四一号証を示す

これはどういう特許ですが、ご存じありませんか。

いや、分かります。これは発泡体の外側に、分かりやすく言ったら、蒸気の通らないようなフィルムでもって、うまくフィルムでカバーしたら、加熱しても後で縮まないという特許です。

これはどこが開発したんですか。

これは技術開発部でやりました。

この五七年五月二八日の出願当時、伊藤さんが部長のときですね。

はい、そうです。

伊藤さんの名前が入ってませんね、どうして入ってないんでしょうか。

いや、それは知りません。

(控訴審第一回二九丁)

と答に窮している。

このような村上証人の技術認識のレベルであるからこそ、裁判長から

裁判長

あなたは一審から関与しておられるのでわかっていると思うんですけれども、要するに、本件特許と言われているもの=特許第六二三八八八号の「ポリオレフィン生産技術」という名称で一審ではくくっておりますけれども、これがノウハウだと言われる。それで、このSJ法なるものは、先の特許の実施例なんですか、そうではないんですか。

SJ法の出来たのは五四年ですから、実施例ではありません。

そうお答えになるから、被控訴人代理人があなたは特許のことをよくおわかりなのかなという異論が出るんですよ。特許の実施例という概念はわかりませんか。

・・・・・。

(控訴審第二回一七丁)

とわざわざ問われて答に窮せざるを得なかったのである。

3、まとめ

このように村上証言も、技術に関する基本的認識が欠如し、上告人の役割をできるだけ少なくしたいという願いにも等しい「作為」が多い証言なのである。

(三)、小結

以上のとおり、原判決が、円尾証言と村上証言により、上告人が「管理者としてにすぎず、その実際の研究開発を行ったものではない」と積極的に認定することは経験則に反することが明白である。

五、原判決の経験則違反―上告人の供述について

(一)、原判決の認定

原判決は、上告人が甲第三号証、甲第三〇号証の特許中心とする技術について

「この点につき、被控訴人は、自らが関与しているからこそ発明者として名を連ねているのであり、自らの関与しない発明に発明者として名を連ねるようなこまなしていない等として前記主張に副うかのような供述(当審)をするものの、その具体的な関与に関しては、

〈1〉 被控訴人の永和化成入社当時の仕事内容は、実験室(ラボプラント)と事務室を往復しての特許関係その他の資料整理等であったこと

〈2〉 被控訴人自身は、実験には立ち会うことの方が多く、自ら実験することは少なかったこと

〈3〉 二段発泡法の採用は被控訴人が提案したもめでもないが、かといって誰が提案したと言えるものでもないこと

〈4〉 スチームジャケット法による「三和SJ発泡機」の開発に関しては、発泡の過程で発泡体が金型にひっつかないようにすることに関しては関与したが、「三和SJ発泡機」の設計はもとより設計に関する指示等は被控訴人は一切七ていない旨供述(当審)する

にとどまるのであって、結局のところ、右被控訴人の供述するところによっても、被控訴人の本件技術の研究開発への具体的な関与は前記認定したころを超えるものとは認められず、被控訴人は本件技術の本源的保有者として、これを当然に使用し得るとの前記被控訴人の主張は採用することができない。」

しかしながら、原判決の右認定は上告人の控訴審における供述を全くそのまま素直に受け取ってかないものである。」

(二)、研究の前提について

上告人は次のようにのべている。

あなたは、そうすると、入ってからどんなことをされたんですか。

まず、私がやりましたことは、一段発泡を企業化するという市場命令が社長のほうから出てましたんで、それに対しての研究なり準備なりを進めました。

そうすると、あなたが入った段階で、研究開発されてたものを製品化するための研究を引継いだんですか、それともだれかと一緒にやったんですか。

いや、私はその当時、森田宇佐雄氏の上に入って、彼等と一緒にやると、いわゆる発泡ポリエチレンチームというような形を作るために私が入社したということになってますね。

私の聞いてるのは、現実にはどうしたんですか。

森田氏と私と、それから新入社員で入社した北尾と。

森田、あなたも北尾の三人で研究を進めたということですね。

はい。

その研究については、森田さんがやっておったものを引続き続けたということですか。

そういうことです。

森田さんがいつごろから始めてたかというのはご存じないですか。

彼の発言から、一年ぐらいは経過してるんだろうなというふうには思ってましたけどね。

あなたが入ったのは研究開発、そういったことの都門でむしろ事務的なことを担当してもらうというようなことが仕事の内容だったという発言がありましたね。それは意外なことですか。

もちろんです。

(一二丁)

つまり上告人と森田と北尾の三人でプロジェクトチームを組み、上告人が長となったということである。

まさしく組織による発明の体制である。

(三) 供述の分析と、その意味するもの

次の供述は、右体制を前提としてのものに外ならない。

上段が上告人の供述であり、下段が原判決の認定とそのコメントである。

〈1〉に関して

あなたが入った当時の仕事のスタイル、それはどんなことだったんか、自分の机と場所、周囲のことと、そういったことで説明してくれますか。 古い話ですのでね、詳しくと言われますとなんですけども、実験室、いわゆる中間プラントというかラボプラントがあって、その研究室と事務室、執務室とを往復して、あるいは特許関係の調査からいろんな使用関係調査もありますから、そういうことも兼ねた仕事をしてましたね。 どんなふうに手分けしてたんですか。 それは三人ですから、沢山いろんな仕事がありますから、どれをというはっきり区切った仕事のやり方でなしに、これをやってくれ、あれをやつてくれというような分担を決めてやりましたね。 (原判決の認定) 控訴人の永和化成入社当時の仕事内容は、実験室(ラボプラント)と事務室を往復しての特許関係その他の資料整理等であったこと (コメント) 上告人がこのようなことはいっていない。 共同研究のかたわらそのような仕事をしていたということである。

〈2〉に関して あなたも何か実験室で実験をやっておったんですか。 実験室で実験をするということは立ち会うということが多かったですね。 自分でやるんじゃなくて、立ち会うということが多かったとそういうことですね。 はい。 (原判決の認定) 被控訴人自身は、実験に立ち会うことの方が多く、自ら実験するこは少なかったこと (コメント) 上告人は実験の監督をしていたのである。

〈3〉に関して 高発泡の技術としての二段発泡の始まりは、どんなことだったんですか。 これは始まりということより考え方ですね。いわゆる一五倍に発泡体では他社の三〇倍の発泡体に、コスト的にも用途的にも対抗できないと。だからもっと発泡さそうというようなことを考えて、一段発泡でチャレンジしてみたら、一五倍以上のものになると、ものは小さな部分でできるけれども、非常に効率の悪い、生産性の悪い、現場へ持ち込めないというようなもんだったので、是非なんとかいい方法はないのかということで、研究を始めたわけですね。 いつごろのことですか。 四〇年一月ぐらいにエターライトと称して一段発泡を上梓しましたので、その段階までで、一応、上梓の段階は製造という問題になりますので、製造の部門へ組織がどう変化したかははっきり覚えてませんけれども、そういう仕事を引継いだので、その段階から、更に高倍率に物を膨らますという研究に入ったと思います。だから四〇年一月以降ですね。 だれが、最初のヒントを出しました? ヒントというのはね、だれが出したということやなしに。 だれが出しました? この思想は特許にもいろいろありますんで、そう (原判決の認定) 二段発泡法の採用は被控訴人が提案したものでもないが、かといって誰が提案したと言えるものでもないこと (コメント) 技術開発部の研究の場合あくまで研究は上告人の指導監督の下でなされでいたものである。その場合に誰がいいだしたかなどということはナンセンスである。 まさしく上告人の指導監督のもとに討議の中で生み出されたものなのである。 昔からゴムを高発泡する場合に二段発泡せねはならないということは業界の常識であって、その思想をポリエチレンに利

いうことから出てきたものです。だれが出したというもんじゃございません。少なくとも当業者なら容易に考えつく思想です。 ポリエチレンにおける二段発泡、発泡剤を一部未発泡の状態に残して、一旦冷やして、そしてまた発泡するという方法ですね。それはだれが最初に言い出したんですか。 だれが最初ということはございません。 あなたには分かりませんか。 弁護士さんの質問が、私には、何を言われてるのかよく分かりません。 私が聞いているのは、どなたが言い出したことかというのが、記憶にあるかないかを聞いてるんです。 ありません。 伊藤さんではありませんね。 はい、ありません。いや、私ではありませんということも言いかねます。私もそういう考え方は持ってましたから。 用しようという事で研究を進めたのが上告人をリーダーとする技術開発部研究グループなのである。 上告人は「記憶にない」と答えているのである。 誤導である。 また上告人も考え方はもっていたことは証言している。

〈4〉に関して 甲第三〇号証関連の特許の申請についてですけれども、SJ法という、角パイプみたいなものに蒸気を通したり、水を通したりして、熱をさますテクニックを講じる分ね、その分の、そういったSJの部分については、恐らく村上さんが自分のところでやったというふうに言うておられたような趣旨に聞いておったんですけれども、その点はどうですか。 これは、製造している間に出てきた、いわゆる生活の知恵的なものと技術開発の今までやってきた知識とが合体してできたのがSJ関係の特許でございます。 (原判決の認定) スチームジャケット法による「三和SJ発泡機」の発言に関しては、発泡の過程で発泡体が金型にひっつかないようにすることに関しては関与したが (コメント)

村上さんのほうから聞いていると、あなたはむしろ、ソルトバスというんですか、塩浴法のほうに固執しておられて、村上さんなんかのSJには、むしろ見向きもしなかったというふうなことを言うておられたんですけど、私に。そんなことはないですか。 ないです。 あなたはそうすると、SJ法の角パイプで温めたり、冷やしたりする方法というのについては、どんなことを提案したり、研究したり、あるいは設計したりしましたか。 あの方法は、単なる加熱の思想なんです。従来からある加熱の思想を持ち込んだだけで、本来は特許のいわゆる技術思想がベースになってるんですね。 私の聞いておるのは、それがつまらんもんかどうかは分かりませんけれども、それについてあなたがどのように関与したかどうかを聞いているんです。設計しなきゃ、つまらんもんだって作れないでしょう。 あのね、そういう簡単な問題と違うんです、発泡体を作るということは。 私の聞いてる部分についての答をしてください。 いや、だから、そういうことを言われるから、私も言うだけのことは言わないかんと思ってるんですよ。 言う前に私の質問に対して答えてください。 だから、ああいう方法でやるということは、何も反対したわけでもなんでもないんですよ。 あなたはどの部分について関与したかと聞いているんです。 甲第三〇号証は「三和SJ発泡機」の特許ではない。思想の特許なのである。それゆえ、上告人の属する技術開発部も当然関与しているのである。 分割された技術部分に関与するわけではない。 特許公報で5、6頁にわたる複雑な技術開発について、技術開発部の研究の中で、一言で、自分の関与をいうことは至難の技である。

私はああいうことについて、発泡さす過程で、どういうふうに発泡体をすべらすかという、実験の段階で関与したと思っております。 すべらすか、とは。 お分かりにならんでしょう、詳しく説明しないと。だからあの特許について、金型の中でいかにものをすべらすか、発泡というのは膨れるんですからね、膨れる過程で、いかにひっつかないでものがすべるかという思想はどうすればいいかということには関与したと思っております。 あなたは何か設計しましたか。 設計は、我々はやる仕事と違います。 設計の指示はされましたか。 私はしてません。 「発泡させる過程で発泡体がいかにくっつかないか」ということは甲第三〇号証の特許思想の本質なのである。 (原判決の認定) 「三和SJ発泡機」の設計はもとより設計に関する指示等は被控訴人は一切していない (コメント) 甲第三〇号証の技術の中心は思想である以上この思想に関与した以上、これを具象化する設計は他の部門の仕事である。

以上のとおり〈1〉から〈4〉の認定をみてきたが、原判決がいかに技術に無理解かということが一目瞭然である。また、原判決が上告人の供述しようとすることを素直にとらえていないことも明らかである。

まさしく原判決は上告人の原審の供述からの事実の認定について経験則に反する違反がある。

六、小結

以上のとおり、原判決が上告人を本源的保有者とはいえないとした事実認定は、いずれの点をとってみても経験則に反する違法がある。

第三、因果関係について―経験則違反

原判決は被上告人会社と山東省について

「山東省との関係では、同年一一月二二日から六日間にわたり、被控訴人が、控訴人の責任者として中国(青島市)に出張し、明和産業の担当社員出口努とともに、契約に関する具体的交渉を行った。右交渉は、代金額や本件技術実施、製品販売地域の限定についてのテリ下リー問題(控訴人は本件技術の実施できる範囲を当該省内に限定し、また、製品の輸出先についても限定を付することを主張し、山東省はこれに反対)で双方が厳しく対立し、代金については、被控訴人らは当初の一億六九六〇万円(技術料五〇〇〇万円、生産設備代金一億一九六〇万、円)を、一億五四八〇万円(技術料四二〇〇万円、生産設備代金一億一二八〇万円)まで譲歩したが、予算額が一億二〇〇〇万円であるとする山東省との開きは大きく、山東省が被控訴人らの帰国直前に提示した額も一億三四〇〇万円にとどまり、交渉は決裂に等しいものであったが、被控訴入らは、一応山東省の一提示額を持ち帰って検討するとして、交渉を完全に決裂させることはせず、帰国した。これは、当時、被控訴人も含めた控訴人サイドでは、本件技術を有するのは控訴人以外にはなく、かつ、中国側は本件技術の導入を強く希望していることから、必ず、中国側から折れてくるはずとの判断に基づいたものであった。

右帰国後のテレックスによる交渉で、控訴人は一億四七〇〇万円(技術料四二〇〇万円、生産設備代金一億〇五〇〇万円)まで譲歩を示したが、一億四〇〇〇万円を主張する山東省との間で合意には至らず、山東省は、翌昭和五九年一月に訪日のための招待状の要請をしてきたものの、それ以降何ら交渉の打診はなく、控訴人からも契約交渉の再開を求めることもないままに経過し、結局、契約締結には至らなかった。」

と認定し、またハルピンとの関係では

「ハルピンとの関係では、昭和五八年一二月にハルピンの関係者が来日して控訴人の工場見学をした後の昭和五九年五月七日から一四日まで、被控訴人の退任、退職後、その担当責任者となった村上文男が明和産業の担当社員出口とともに、中国(ハルピン市)に出張して商談を行ったが、ここでも、双方提示の金額の差が大きく、控訴人は、最終的に、一億四九三八万六〇〇〇円(技術料四二〇〇万円、生産設備代金一億〇七三八万六〇〇〇万円)まで譲歩したが、ハルピンは高すぎるとして合意に至らず、またテリトリーの問題でも対立し、交渉はこれら相違点のあることを双方が確認するという形で終わり、契約締結には至らなかった。」

と認定しながら、

「もって、控訴人が本件技術と生産設備を右各分公司に売却する機械を失わしめたものにほかならず(山東省は、控訴人との交渉の決裂後も、前示認定のとおり、吉井鉄工との間で仮契約を締結してまで、その購入のための予算の確保を図っていたもので、被控訴人が吉井鉄工の誘いに乗ることができなければ、控訴人との交渉を再開し、控訴人から本件技術を購入したものと推認でき、前記、交渉が事実上決裂していたとも事実が何ら右認定を左右するものではない)、」

と認定した。

しかしながら、被上告人が山東省はもちろん、ハルピンともテリトリー、価格の両面においで交渉が決裂していたのであるから「交渉再開とともに被上告人会社から本件技術購入したもの」についての推認は根拠のあるものでなければならないはずである。

ところが至原判決は何らの根拠もなく「推認」しているのであって、これまた経験則に反するものである。

以上

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